信濃ハウジングの歴史
- 1986年
信濃ハウジングの前身の誕生 - 後に株式会社信濃ハウジングとなる、信濃ハウジング サービスを個人事業主として、現会長の中澤邦繁(くにしげ)が上田市古里で創業。
- 売上高1億5000万円を突破
- 前職でエクステリア関係の仕事を経験していたノウハウを活かし、営業から外構工事まで、全てを一貫したサービスを提供し、創業から増収であった。
バブルの追い風もあり、現在の本店である東御上田店をオープン。 - 1992年
信濃ハウジングサービスから有限会社 信濃ハウジングに - 1998年
現社長の中澤英樹が入社 売上高3億5000万円を突破 - 現社長を務める中澤英樹も入社し、5名の現場職人と、営業を務める会長、事務員の計7名へと組織を徐々に大きくしていった。2号店となる、上田原店もオープンし、順調に業績を伸ばす。
- 2002年
現在の姿である株式会社 信濃ハウジングに - 2010年
リーマンショックと共に、
業績が大きく傾く - リーマンショックにより、庭づくりの需要が激減。売上も2億へと落ち込み、初めて赤字を出した。中澤英樹が反対を続ける中、全社員の給料カットを決断し、何とか会社運営を続けた。しかし、給料カットの影響は大きく、社員が離れるキッカケとなってしまった。
- 2013年
中澤 英樹が代表取締役へ就任 - リーマンショックを受け、2~3年間会社は停滞。社員も15名になり、会長が信濃ハウジングを畳もうと言い出した。中澤 英樹は「なんで辞めるんだ」と口論になった末、会長から「お前もやればわかる」と言われ、引き継ぐことを決意した。
- モノ売りから付加価値のある提案型の
エクステリア施工へ - 当時は仕事もなく、あったとしても薄利であり、数をこなさなければ利益に繋がらないことを問題に捉えた中澤英樹は、売上を先行する経営から、付加価値を提案する仕事づくりを意識するようになった。
- 佐久平店オープン
現会長 中澤邦繁
オープン当時の東御上田店
現会長 中澤邦繁(左)と現社長 中澤英樹(右)
オープン当時の佐久平店